ツイッター

 とある事情によりツイッターでつぶやくことが出来なくなってしまったので、ここに「ツイート」を載せます。
 ポメラに「Twitter」というフォルダを作り、ツイートしているような気分で入力する。それをはてなダイアリー(現はてなブログ)に投稿する。

 ヤマダ電機に来てイヤホンを選んでいる。2015/02/01 17:01

 ラジオも聴けるMP3プレーヤーにつないで同じ曲を聞き比べるんだけど、前に比べて音の違いを雑に処理するようになった。「少し違う気もするけど、まあおんなじようなものか」といった感じで。年のせいかもしれない。2015/02/01 17:04

 ハイレゾなどとオーディオ完全に知ってますさんにはなりたくない、なぜならそのレベルのことは自分にはどうせ分からないから、その分からないということに対して正直になりたいのだが、逆に分かる範囲のことにも正直になりたいという一線を引いていて、その線上にあるイヤホンしか買ってはいけない、という自分の中での暗黙のルールがあって、ほんとにそうであるのかどうかは誰にも分からない。価格帯を見ていないわけでもないし、そちらに引っ張られていないといえば嘘になる。2015/02/01 17:10

 エスカレーターに乗っている女子が斜めに陣取っていて非常に……2015/02/01 17:12

 その場で開けてすぐに使ってしまう。2015/02/01 17:12

 その後池袋から家の近くに帰ってきてモスバーガーに寄っています。2015/02/01 17:13

 そばダイエットの効果は徐々に現れてきているが、まだ予断を許さない。2015/02/01 17:14

 ここで小説を書けたら書きます。周りの人間がすごい頑張っているので、自分もそろそろエンジンをかけないといけない。2015/02/01 17:15

 小説らしいものを書く合間に、小説を読む。ベケットの「伴侶」。ゆっくりと歩きながら、いつの間にか、この文章の間に広がっているものが、めまぐるしく感じられるようになっている。一歩一歩足を進めながら、その歩みが完全な停滞と、停滞の終わりになることによって、少しだけ進む。ここに書いてあることと同じことを思ってしまっているのだから、全く読めていないのだろう。2015/02/01 18:18


 なんかものすごい買い物をしたような気分。2015/02/01 17:16

 小説を少しだけ進めたのでこれからトレーニングに行きます。2015/02/01 17:16

 プラッドの曲を聞き直す。たいていのミュージシャンは、そうはいってもある一つの枠に嵌まってしまうものだが、プラッドは奇妙にそれを避け、その場にいながらにしていつの間にか細い手が遠くの何かをつかんでいる、といった体の不思議な多様さを見せる。2015/02/01 17:18

 トレーニング中にプラッドを聞くわけではない。2015/02/01 17:19

 トレーニングが終わったので帰ります。2015/02/01 17:20

 明日も早いし、早めに寝ようかな……。2015/02/01 17:20


 トレーニングの帰りに、近所を少し歩いた。PlaidベケットPharoah Sanders のことを考えながら、歩くことについて考えた。
 Plaid は、加算シンセの Sine Wave の分量を変化させるような音の作り方をするが、やってみればわかるのだが、そうすると、「一つの音」と「和音」というパーティションが、全く付けられなくなっていくのを感じる。
 どんな音もいうなれば「和音」、もっと普遍的にいえば「混声」なのであるが、そう素直に感じることはできないだろう。なぜできないのか。
 人がわたしのことを「一人」であると感じることと、関わっている。
 Pharoah Sanders は、どんな楽器を使う時でも、いや、特に Saxophone を吹く時に著明だが、未分明な領域を鳴らすことが多い。
 ジャズが、音を生きたものにする一つの工夫。
 ジャズの音が生きているのだとしたら、それ以前の音は、まるで死物であるということだ。
 しかし、もともと死物である音が発生するはずがない。ジャズの音が生きているために、過去の音が死んだということだ。
 未分明な音は、ちゃんと聞けば、あらゆる色彩が立ち上がってくる。こじつけではなく、音の発現的な意味で、これは加算シンセの音が立ち上がる時と同じようなことが起きている。
 解説すれば、Saxophone の音が炸裂する時は、つまり、ワン・オクターブ、同じ管の長さで違う響き方をする二種類の響きの間を縫うようにして鳴らせることで、二重に音が鳴っていることになるのだが、それは「わたし」が「一人」であるとしか思えない人の発想、聞き方であり、実際は一つの響き、もしくは無数の Sine Wave の合成なのだ。
 ここで、「オクターブの飛躍」は無効となり、「音成分のゆるやかな移行」という聞き方をすることによって、……
 ニーチェが「もし真実が女であるとしたら」と言っていた。それにならったら、「もし自己認識が音であるとしたら」。
 公園と、その周りの家並みをひと回りして、帰ってきた。