ビブラート

 私は音楽をやってる時からビブラートは嫌いだった、何か音程というのが定まった点ではなく広がりを持った空間として見せる演出のようなものに感じられた、歌のビブラートはもっと嫌いだった。
 音楽は苛烈で人間に突きつける法則のようなものであるべきだ。
「何が」人間に? 「音楽が」人間に突きつける音楽の法則。
 結局そんな法則はなかったわけだけど、いまだにビブラートは輪郭をひたすら淀ませる効果のようなものでしかないと感じる。
 しかし、いざ、ビブラートの全く掛かっていない音素を聞くと、それが人を惹き込む宗教的坩堝の形相を帯びはじめるのも、また事実だ、その時音は目前を通り過ぎる一つの線ではなく、即座にハウリングを起こし0.2秒ごとに心に重圧を増しあっという間にピークをむかえる背を差し貫く鋼線となる、それに差し貫かれるか、身を逸らすかの二者択一を問答無用でせまる一つの難問となるのだ。
 そういうものを好んでいた、というのもあるけれども。