本を読む(2)

 しかし寒さにはなかなか抗うことが出来ず、喉に悪いとは思いつつも、セラミックファンヒーターの熱風を受けることになる。このセラミックファンヒーターは「切」「弱」「強」しかなく、強では熱いが弱では寒い。なのでどちらか気になったらガチャガチャと風量を調整するんだけれども、たいていは「強」にして熱いのに耐える。漱石の「道草」はいろんな人からそれほど芳しい評価を受けているわけではなく、じっさい友人から「退屈だ」という評価を聞いたところなんだけれども、だからこそ読みはじめた。前にも三十ページくらい読み進めたのだが、その周辺の内容をほとんど忘れてしまったため、また最初から読み直した。一方でポットの湯を沸かし続けていて、コーヒーを起き抜けで飲むのは胃に悪いので、職場からのもらいものの食べ物をすこし食べておく。起きてからちょっとも経っていないので、まだ朝食は食べられずにいる。
 前はバカみたいにコーヒーに凝っていたので、ドリップはおろか、グラインドや焙煎まで自分でやっていた。ミルなんかも、電動ではなく手動だった。焙煎もお粗末なもので、ぜんぜん芯まで火が通ってなく、生豆の白い部分が中心に残った粉が、その手動ミルから出てくる。「赤の他人」を読むことで、ぜんぜん、忘れていたけれども、自分の小説観のけっこう大きな部分が磯崎憲一郎によって培われていたようで、まるで没頭しながらこの作品を読んだ、それは読み進めるとかひとつひとつ砕いていくというイメージよりも、ひたすら漂うというのに近い。ところが一旦コーヒー熱が冷めてしまうと焙煎はおろかドリップまでしなくなってしまい、インスタントを溶かすだけだ。