ClopJob

 僕はゲンキンなもので、ちょっとでも環境が変わるとすぐに書きたくなる。PCが変わっただとか、ソフトが変わっただとか、サイトが変わっただとか……。

 はてなブログというものが、はてなダイアリーの上位互換プロジェクトとして動いていたのはなんとなく知ってはいたけれども、さきほど「もうはてなダイアリーの代わりみたいなものとしてはてなブログを稼動させはじめようかな」宣言が言い渡されたのを知って、気分転換にとそっちに移行してみた。

 これがもし全く別の会社だとかサービスだったら移行するのもいろいろ面倒だったりしてそんな面倒を今更負うことは考えられないけれども、同じはてなのサービスなので、そこはたった数クリックで移行することが出来た。おしむらくは、はてなダイアリーの方で着々と回っていた来訪者数のカウントがまたゼロからになってしまったことくらいか。

 これもはてなブログではより詳細なログが取れるようになっているとはいえ、なんとなくもったいない。しかし過去の遺物に取り縋っていても仕方があるまい。「湯水のごとく捨てる」ことの大切さは、このあいだ、いくつかの優れた音楽から教わったばかりだ。


 久しぶりに自家焙煎の豆を使ったコーヒー店をいくつか回った。昔はよくこんなことをやっていたものだった、暇だったから。

 しかし正直今日回ったところは、それほどピンと来る味じゃなかった。一軒目は、あまり酸味を押すブランドでなければ、もっと良い味だったかもしれない。そこではえんえんと、たぶん豆の輸入業者のものと思われるビデオが流されていた。

 いわく指定農園で採れた、現地の労働者がていねいに選りすぐった豆だけを使用し、農家たちは笑いながら生活をしている……。

 いわくとは言え、そのビデオには音楽はなく英語の字幕が付いているだけで、今のことは映像の雰囲気から想像しただけのことだ。

 それにしてもよく考えると、コーヒーやらバナナやらというものは、西洋が植民地の人々を奴隷のように扱うという、その優越感にひたるためだけに作られているという気がしてならない。コーヒー一杯飲むのに、一体何人の奴隷(とは現代では呼ばないことになっているけれども)が必要になるのか……。

 それが大げさだという人は、この店に行って、その映像の中の、豆を選りすぐる(これをコーヒー用語でクロップと呼ぶ)人達の、ひざまずいて肥えた舌を満足させるために汲々としているあの背中、語らずに伝わってくる表情を見てくるといい。