去年書いた短文

 しっかりとコンクリートで詰めたはずのドラム缶の中から、またゆっくりと顔が現れこちらを覗いている。まるで中は空っぽであるかのように造作がなかった。別段魅力のない四十がらみのおじさんだった。自分の背より高いドラム缶なので、こちらから中を覗くことはできなかった。おじさんが私に話しかける。
「五エ門風呂って、よく聞くだろう。義賊の五エ門が、煮えたぎった湯に放り込まれる刑に処されたことからそう呼ばれた風呂だ。実際にはそんな熱い風呂には入れないから、その蒸気をちょっと身にくゆらせるだけのサウナみたいなやつだって、今では言われてるだろう。
 だが、違うんだよ。石川五エ門はそんなことじゃ死ななかった。本物の江戸っ子は、98℃くらいの湯じゃあ、ヌルいくらいのものよ。それ以来、カレー屋で言う十辛みたく、熱さのインフレが起こって、入れる人だけ入れる真の五エ門風呂、100℃の本当に煮えたぎった湯に入る風呂屋が出来たんだ。現代ではそんなこと信じられないから、あれはサウナだったなんて、ウソがまかり通っている」
 おじさんはどこからか手拭を取り出して、頭に乗せた。
「高温に身をさらすと代謝が良くなって長生きが出来るんだ。水の沸点は100℃だが、石の沸点は、どうよ。ウソか真かコンクリ風呂さ。現世で二度目の処刑を受けるなんて、因果なもんだ。さあ、早く熱くしてくれよ。江戸っ子は気が短けえんだ」
 ドラム缶の下には、いつの間にか焚木がセッティングされていた。