関町

 関町に行ってきた。
 白川静「字統」を、白川静本人が言うとおり「辞書は丸ごと読」んでいると、序文で白川静が尊敬している、かどうかは知らないけど辞書界のマスターピースとなっている作品とその著者について触れていたから、その辞書なり著作をもし著作権が切れているなら青空文庫で入力できないものだろうか、それを調べるために「白川静著作集」が全て揃っている関町図書館に来た。関町は駅も何もない住宅街だ。小学校と中学校と交番がある。畑と養老院がある。中学校に沿って図書館がある。図書館のある場所には一つくらいは駅があるだろうという思いこみがあった。
 白川静著作集を読んでいると、パラパラめくってそのマスターピースとなった辞書や字源を調べるという読み方は出来ない。頭から全部を読んでしまう。白川静は現代にはいず殷とかその時代にいるかのようだ。でも白川静は現代にいて現代の言葉を使っているからこれは橋渡しだ。いくらくだらない目鼻の欠けた現代の言葉でも、我々はそれを使わなければやっていけないし、その中に漢字がまだ残っていることが我々にとっての本当の救いで、それこそこんな時代になってなお残っているというその事実に価値があるのだと、どこかで書いていた。自分はどのくらい白川静に影響を受けたのだろうか。
 白川静著作集を閉架にあるから司書に頼んだら四冊で一つが小さい辞書ほどもあるのにこともなげに手に抱えて持ってきた。ここの司書は全員幼稚園の保母さんがしているようなエプロンを掛けている。図書館の司書にエプロン? 女性も妙に多かった気がしてくる。
 白川静著作集を読んでいたらもう昼の二時で読んでる途中に外に置いてきた自転車の鍵を差しっぱなしにしているのを思い出した。外はいかにも雨が降りそうで何とか持ちこたえているというくらいの空模様だ。来るときに自分には珍しくコカコーラゼロを買ってペットボトルがカゴに入っていた。珍しいのはゼロの方を買うことではなくコーラ類を買うことだ。そもそも甘みのあるジュースを買うのが久し振りだ。前は毎日のように買っていた。なんとなしにダイエットがしたくなってきて今のようにひたすらミネラルウォーターを飲むようになったと自分では思っているがそれは忍び寄る老いがそうさせているのかもしれない。老いはいつも自然に忍び寄るからそれとは気づかれない。自分の意志で、スポーツ番組が好きになったり旅番組が好きになったり演歌が好きになったりしていると思っているうちに、気がついたらまるでそれまでとは違う年相応の趣味を持つようになっている。そういうものらしい。
 殷の時代の土から出てきた甲羅とか獣の骨とかと、忍び寄る老いと、いったい何の関係があるというんだ。降りそうな空にも関わらず自転車が不安になったのでコーラを飲むついでに外へ出た。某が言っていた通り、きのうとはさらに質の違う寒さが押し寄せていた。
 コーラはカフェイン目当てで飲む。コーラにどれくらいカフェインが含まれているのか、何回か調べたかもしれないが覚えていない。自分のイメージとしてはコーヒー1杯の1/4くらいだろうか。それ以上なら、小学生とかはなかなか飲めないだろう。コーラは小学生とかは飲まないものなのだろうか。スマートフォンを持つのが常識となっている今の子供がコーラを飲まないなんて、考えられないが、別に身体が早熟になってきたというわけでもあるまい。図書館に着いたとき、コカコーラゼロを飲もうとペットボトルのフタを開けたらフタが地面に転げた。飲み口に触れないで飲む自分の飲み方は職場で良くバカにされる。それほどペットボトルの清潔を気にしていると周りに思われているのにその地面に落ちたペットボトルのフタを再利用するとは。殷の時代に漢字の原型となる文字が使われていたけれどもそれが占いに使った亀の甲羅の上の刻みとか、獣の骨の裏の刻みとかにしか残っておらず、紙とかその他考えられるあらゆる媒体で跋扈していたが、それは文字とともに消え去り知られないままになった。亀の甲羅の上の刻みとか獣の骨の裏の刻みとかは占いに使う文字だけに限られていて、それ以外のことを伝えるための文字は消え去ってしまったという説明は非常に現代的で白川静が説くような世界観とは相容れない。しかし現代人が殷の時代の文字について考えたときにそういう考えに陥る人はたぶん多く、白川静自身にそういう批評がされたことも二度や三度ではないだろう。
 保坂和志が選書で選んでいた白川静の著作よりもずっと今日読んだ著作集の偶然巻の頭に来ていた一篇は殷の時代の文字の流れがわかりやすかった。わかりやすいことが悪いということでなくぜんぜん逆だ。きっと初期の著作だから詳細を伝えることが出来ず、アウトラインを述べるのみにとどまった。あるいはターゲット層が違ったのかもしれない。白川静はターゲットによって話すことを本当に柔軟に変えるその手腕は漢字に対する頑固なまでの主張を見ると考えられないほどだ。論文の中には中国語で書かれたものさえある。一般誌に載せるときは新字新仮名に統一することもあるが本領を発揮するのは旧字旧仮名を使っているときだ。漢字の生成理由と万葉集の自在な漢字の利用について語っている文章はもっとも錯綜しているうちの一つといってもよくまるで論旨を追っていけない。白川静という一人物の提供する平面上に並べられた文章というイメージ、これは電子書籍とかひたすら横に引っ張ってスクロールするタブレット端末とかの与えるイメージとぴったり一致するがそういうイメージで当たるとぜんぜんついていけない。白川静のある本を読んだあとに別のある本を読むと、まるで時間がそれぞれに吸収されてしまったかのように断絶を感じる。ある本を読んでとても読みにくく進むのに難儀していたという記憶だけ持って読み終わって、次の本を手にしてその読みやすさにびっくりするときに「白川静ってこんなに読みやすかったっけ?」と思うその読みやすさはぜんぜん白川静に起因するものではなく彼がターゲット層を絞ったその手のひらで踊っていただけだ。
 関町を出るともう雨が降り出していた。降り出すといっても次のどの瞬間に止んでも不思議に思わないくらいの降りだ。ただ寒さが倍加している。空は昼を感じさせないくらい暗い。関町からまっすぐ北上すると武蔵関という駅がある。関町の関とは、この武蔵関の関を取ったものなのか。あるいはこの一帯がもともと「関」で、そこから分化するように「関町」と「武蔵関」に分かれたのか。武蔵関は、僕がもともと期待してたのと同じくらいの規模の駅がある、その期待はまるで身勝手なものだけれども。武蔵関の周辺には喫茶店がない。ないか、あっても個人経営のすごい小さい喫茶店で中に入りづらい。その一つなんて、グーグルマップに表示されていたのでグーグルストリートビューで実際の道路の周りの景色を見てみたら、ふつうの一軒家しかなかった。既につぶれた喫茶店の情報が残っていただけか、あるいはその幟も立っていない一軒家自体が喫茶店なのか。見た目がまるで一軒家の喫茶店なんて、どうやっても入る気にはならないし入ったところでとんでもない目に遭うだけだろう。
 何の線だったのか全く覚えていないがその線路を東にたどっていくと上石神井駅がある。右に逸れ左に逸れ気がついたら外れていたり逆に線路に衝突して途切れたりという線路沿いの道路もあるが武蔵関と上石神井の間にはまっすぐ線路に沿う道があった。その道の途中にどうも奇妙な佇まいの建物があった。厳密には、その建物が奇妙だったのではなく、それを囲う塀と建物の間に妙にゆったりとした空間が開いていて、その空間が奇妙だった。もっとも、建物それ自体も見ると静かさが奇妙だった。静かというのは物理的に音がしないとかまた作りがシンプルだとかそういうわかりやすい感じではなく表面に静かさが充満していた。しかし単に建物と塀との間にゆったりとしたスペースが空いているそのことを奇妙に思うのはその余裕を許さない感じ方の方が現代に毒されていておかしいのにそれに我々は気づかないのだがその建物はキリスト教の修道院だった。
 正確に修道院だったのかどうかはわからない。武蔵関との境にあるのにそれは上石神井という名を冠していたことだけは覚えているけどそれが何をするところなのか、そもそも修道院が何をするところなのかも知らないけれどもその名前を見ても想像ができずに覚えられなかった。いや、実は隣に修道院と名の付いているこれまた塀に囲われた敷地があったんだけれどもその中には本当にどこかの団地と区別の付かない白いコンクリートの棟が並んでいただけだ。修道院という名前とのギャップに目の前がチラつくけれどもそれこそこっちの勝手な思いこみであって、修道院だからといって中世の建物みたいであるわけはないし、そんな風に宗教のあらゆる要素を過去を引きずっていたら現代まで生き残っていられない。
 修道院ではない、修道院の向かいにある最初に見つけた建物の、上だけ丸くなった細長い嵌め込みのガラス窓の奥に、マリヤ様の白い像が見えた。その細長い嵌め込みのガラス窓も、ステンドグラスのような形だったがステンドグラスじゃなかった。そもそもステンドグラスだったらマリヤ様が見分けがつかなかった。写真を撮って上石神井へ向かった。
 上石神井ではラーメンを食べてドトールは満席だったのでそのまま家まで帰った。