2013年10月31日

 これはポメラですか?
 いいえ、奇跡の道具です。
 それでは、どうしようもないではありませんか。
 いいえ、総てがここから始まるのです。


 そして、総てがここから始まった。

 ……ふむ、上々のすべり出しじゃないか。
 書くことの不可能が可能を生み、自由が不自由を生む。
 これは真理ですか?
 いいえ、不条理です。

 マックの店内で「マイ・フェイバリット・シング」が流れている。前も同じようにどこかのマックで聞いた気がする。気のせいだろうと、気のせいでなかろうと、どうだっていい。
 マックで得た油分をそのままこのキーボードに乗せるというのも、ぞっとしない話だが、自らの神経質な部分に言い聞かせるように、ここはフリーゾーンとしておきたい。
 ポメラという道具を、他の人はどういう目で見るのだろうか。少なくとも、職場では説明する機会が与えられるとは思うが、「ノートパソコンじゃん」としか思わない人も中にはいるだろう。そう言う人の名前も挙げられる。
 これは確かに、いつまでも書き続けられるかもしれない。あとで、これをノートパソコンにつないでアップロードして、……ということも出来る。出来るか出来ないかで言えば出来るというだけのことで、ほんとにするかどうかはわからない。ブログに上げるべきものをここで書けるかどうかもわからない。いや、ここで書くべきことをブログに上げることが出来るかどうか、かもしれない。
 きのうの話の続き? なにを話したのかも忘れた。どこかには残っているだろうが、それを掘り起こすにはどんなピッケルが必要かわからない。きのうの話なんて、おそらくどこにも残っていないだろう。それを知るには、思い出すしかない。思い出せなければ、知ることも出来ないだろう。知ることが出来なければ、……なんだというのだ? もうすでにあったことだというのに。すでに起きたことが消えないというのであれば、それを思い出せないことを悲しむ必要もないではないか。
 たしか、ええと何だったか。きのうの夜、あるラジオを聞いた。私が全てが詰まっていると思っている、深夜ラジオの方ではなく、朝から始まるワイドショーといえばいいのか、ラジオでもワイドショーというのかどうか、とにかくワイドの時間にやっているラジオ番組だ。
 いや、それを実際に聞いたのかどうかがはっきりしない。もしかすると、それを予約しただけで、聞きもせずに消去してしまったということも考えられる。予約して、それをあとで聞こうとしていたのかもしれない。そして、それはまだ聞かれないのかもしれない。とにかく録音したのは確かだ、あったことがもうすでにあって消えないのだとしたらそれは聞かれようが聞かれまいがどうだっていい。