一人で鎌倉に(3)

 三連休は事実上四連休にもすることが出来る。正確に言えば、「明け」「休み」「休み」「休み」となっている「明け」はカウントで言えば出勤日に含まれるけれども夜勤なので朝九時半には解放される。もちろん夜勤明けだから眠くて仕方がないけれども六時間も寝ればその後の九時間くらいはまた起きていられる。そこをフリーと考えれば鎌倉に行くなら九時半に解放されて家に着いて寝るのは概算して十二時とする(実際その日は「明け」後にいくらかやることがあってホームを出たのは十一時くらいになった)。六時に起きてすぐに電車に乗りはじめたらたかだか八時くらいには向こうに着くだろう。そのまま一泊して次の朝をむかえれば、あたかも三連休とはいえ四連休になったかのようだ。時間は人のとらえ方によって大きく変わる。頭の中で時計が常に動いていて、外界にある時計とそれがピッタリ一致しているような人には、そういう時間が流れているのかもしれないけれどもだとしたらその人の内面は砂時計のようなものでしかない。そういう人にしたところでその幼年期はもっとアバウトでグニャグニャな時間が流れていて、その老年期にはまた別種の時間が流れているにも関わらず、過去にも未来にも今と同質の時間が流れているかのように思い込んでいるんだろう。それゆえそういう人間は自分が幼いということに/をまた年老いたということに/を容易に移行できないもしくは認められない。プルーストは幼い頃のこと、コンブレーにいた時のことを、普通の人が思い出すように漠然としか思い出せないでいたところが紅茶にスナック菓子をつけて食べたことによって全てをありありと思い出すことが出来た。その経験はあたかもその一瞬のうちに幼年期の全てが展開されたかのようだ。
(つづく)