一人で鎌倉に(1)

 一人で鎌倉に二泊した話。
 今月のシフト表が出てから、わりとすぐに頭の中で計画を立てはじめた。三連休というのがおいそれともらえる職業ではないので、それを利用してどこかに行こうとは思っていた。別に三連休をわざわざもらおうとしていたわけではなく、降って湧いた三連休だった。おいそれともらえない三連休が何故降って湧いたのか、はわからない。シフト表を順番に見ていったら、単に休みが三つ並んでいた。有休でもなく、まして希望休ですらない連休なんて、おいそれともらえるものでもないのに、降って湧いたように休みが三つ並んでいたのを見て、徐々にその日の段取りを心の中で固めていった。なにせ係わり合う人がいないので、未来の行動を保障する者は自分しかいないし、それをどこにも言わずに書かずにいたら、自分がそう決めたのかどうかすら定かではなくなる。自分の記憶しか頼りでないという状況は、実はとんでもない。ロビンソン・クルーソーは、唯た一人で孤島に住んでいたけれども、ふと踏んだことを忘れてしまった自分の足跡を発見した時の狼狽たるやすさまじかった。忘れるということは、それほど自分の境界を脅かすことであり、何かを刻みつけるというのはそれほどの価値を持っていることなのだ。自我というのは実は心の中でだけ成立するものなのではなく、周りからそれこそ物理的に、外部から「刻み込まれる」ことによって保障されるものなんだけれどもそれはともかく僕はそれをギリギリまでしないということをあえて自分に課してみた。そうすると、案の定、自分が果たして26日から本当に旅立つのか? ここまで克明に思い描いてきた計画を、当日単に忘れてしまうということも、ありえはしないか? ということが確かでなくなってくる。
 ともあれ数日前にもなるとそうも言っていられず、ホテルの予約くらいは入れなきゃならなくなった。スッポかしたら違約金やら何やら本当に面倒なので、嫌でも足が動きはじめた。
(続く)