呻吟グ・タイム

 このところ忙しいというか余裕がないので、例えばここを更新することをすっかり忘れていた。それどころか気がつけば手の爪も伸びっ放しだし髪の毛も蓬々たるありさま。蓬々といっても僕の基準値は五ミリなのでたかが知れているけれども。
 やっぱり夜勤は厳しい。今までかろうじて保ってきた生活リズムを一気に水に流すような強制がある。僕にとってはもう朝と夜が、ある一日の境目ではなく単に「外が明るい」「暗い」の妙に規則的な反復に成り下がってしまった。
 これは日々が灰色になることと同義だ。日々が灰色になるということは、己の中を定義し律していた象徴的秩序がバラバラになるということだ。陽が落ちるのを見て「ああ、今日が終わった……」と思うことは二十四時間制で計る一日とは関係がない。だから僕は「明日の、……いや0時を過ぎたから今日の、……」という言い方があんまり好きじゃない。その時が時計からして明日だとしても、寝て起きた次の日が変わらず今日だなんてことがあるだろうか。口を衝いて出た「明日の、……」という言葉の方が正しい。これは直感と呼ぶだけじゃ足りないし、まして間違いなんかじゃない、意味を生み出す源泉だ。この感覚からしか言葉の意味なんか生まれないし、その意味での言葉の定義をする体の部位は、脈を搏つ所と全く同期している。
 ここで感じられなければ、言葉に一生息が吹き込まれることはない。あらゆる言葉に意味が感じられなくなれば、それは日々が生き生きとしないということで、それが灰色だ。新聞紙なんかに綴られてもはや印字なのか背景の紙の色なのかわからなくなった記事のようなものだ。
 呻吟はまだまだ続く……。