ノンアルコールビール(上島竜平式ミシェル・フーコー論)

 仕事柄ノンアルコールビールをよく使う。ノンアルコールビールを見ると、いろんなことを考える。
 僕はそもそも24になるまで嫌アルコールだった。もとよりアルコールが円滑にする人間関係自体がなかったんだけれども、それ以上にいろんなトラウマがあって飲まないでいた。
 しかしそうも言ってられないだろうと思って、ホームヘルパー二級の資格を取った時に、「慰労会」の名目で行われた飲み会に参加した時に、はじめてお酒を飲んだ。
 それから週一回は必ず飲むくらいの頻度で飲んでいるけれども、相変わらず「20まではお酒はダメ!」な決まりとか、酒の周りに形成されるコミュニケーションのあり方とかには釈然としないものを覚える。
 ノンアルコールビールも20にならなければ飲めないらしい。なんで? 「もしかしたら微量にアルコールが入っているかもしれないから」だろうか。シャンメリーとか子供が飲んでも良かったと思うんだけれども。
 甘酒をガブガブ飲ませる文化も、今だに廃れていない。文化それ自体は、「お酒は20になってから!」とは言っていない。
 ミシェル・フーコーの言うように、文化というのはわれわれが思う何百倍も巧妙に出来ている。ある禁止がそれをむしろ誘い出すように出来ている。からめ手からこちらの気付かないうちに、もともと持ちもしなかった欲望を植え付けられる。それはワナではなく社会を流れさせる歯車の一つとなっている。「お酒は20になってから!」という法律は、本当に冗談抜きで、「飲むなよ〜絶対飲むなよ〜?」という、上島竜平が熱湯風呂に落ちるプロセスに他ならない。