時計を巻き直す

 朝、携帯ラジオ兼MP3プレイヤーを開いたら、また内部の時計がズレていた。この携帯ラジオ兼MP3プレイヤーで、ラジオの録音をやっているため、時計がズレると録音時間がズレる。
「これから、毎週ピッタリに合わせるような習慣にするか」とふと思ってから、「そんな手間は、毎日りゅうずを巻いて、ぜんまいの力を蓄える腕時計と変わらないぞ」と思い直して妙な気持ちになった。


 駅前の大通りで信号待ちをしていたら、荷台いっぱいに、エアコンの室外機の廃品を載せた10tトラックが通り過ぎていった。
 これだけ壊れたエアコンがあるなんて、エアコンをインフラストラクチャーの内に含めるのは、果たして正しいことなんだろうか、十年も持たないものを? と思った。


 パオロ・バチガルピの「ねじまき少女」という小説は、SF界という狭いところで数年前に大ブレイクをしたけれども、それをどういう勘違いをしたのか、「ぜんまい何たら」というSFが、別の作者から出ていた。
 ただでさえ狭い業界で、さも「ムーブメントが起きました」みたいに、あの作品を扱うのは、おかしい、単純なパクりじゃないか。
 その一方で、昔なら枕頭(ちんとう)というのか、寝転がった時ちょうどいい位置に置いてある、野尻抱介の「ふわふわの泉」は、ふとした時に手に取って読み直しているけれども、読む度に、「これは名作だ」という気持ちを改たにする。
「ふわふわの泉」を、何の縁か科学の先生に紹介することになった。「これは科学としても最高に考えられているから」と大口を叩いたはいいけど、ずいぶん昔に読んだものだから、どう変わってるかわからない、と思っていた。
 しかし、読み直す度に、「これは確かなSFだ」という感触が、その当時と同じように確かめられるために、その勧めたことを全く後悔していないし、むしろ一点だけ勧めるとしたら最高のものだったと思う。


 夕方、もうすぐ陽の落ちるというころに、西の方の空に、「これは言葉でも伝わらないし、やもすれば写真でも伝わらないかもしれない」としか思えない雲があった。
 こんな時、それを見て失望するためだけにでも、デジタルカメラがあればなあ、と思った。
 今持ってるデジカメは、それすら叶わないほどの解像度しか持たない。