船橋辺を漫歩す

 荷風の日記を読んでいると、「海神町」というところに一時期住んでいることがわかったので、どんなところなのか、行ってみた。
 荷風はラジオの音が大嫌いで、それは壁も薄ければイヤホンもなく「近隣住民」という言葉が生み出される前であれば、音量の配慮の概念も今とは違うし、そもそも聞き慣れない音だったので、同情してもし尽くされないほどであるけれども、そのラジオの音を避けるために、凌霜子の海神町にある別邸に入れてもらって執筆やら読書やらをやった。
 戦後すぐのあたりのこと。
 それから時代は流れ、「海神町」は「西船橋」と成り果てた。「カイジン」の名前は何々ハイムやメゾン何々から消え尽くして、ことごとく「西船橋」の扱いになった。

 九月廿六日。晴。午後凌霜子來話。共に海神町の別墅に至る。海神町東葛飾郡に在り。船橋市の西端なり。むかしはワダツミと言ひしが如し。凌霜子所藏の弘化年間印行の地圖を見るにワダツミと假名振りてあり。京成電車敷かれてより音讀するに至りしなるべし。

 ワダツミの街は消え去った。「全戸南向き西船橋駅まで徒歩8分」に押しやられて。