今年の抱負(長文注意)

文系の人を周りに集める
 というのも、僕はある頃から、そういうことにはあこがれていたものの、趣味である読書について語り合える友達を見つけることを諦めていた。
 ただ、僕はいわゆる「読書家」をもって任じているような人は、あんまり友達には欲しくない。たとえばそういう人のブログは、毎週か毎月か、決まった量本を読んだことを報告して、全てに目を通したことはわかるという程度の感想を載せるといったことを律儀にこなし、しだいに「ブログを書く(人に「私が本を読んでいる」ということをわからせる)」こと自体が目的のようになってくる。
 そして一回、「読書家をもって任じている」友人を、作ったことがある。それは上のような、ネットで見かけるうんざりする感じの読書家とはちょっと違うけど、別の意味でうんざりせざるをえなかった。彼は読書家の中でも頭抜けて読書家だった。彼はクローゼットのように滑って開く書棚を、一人暮らしの狭いアパートの一室に引き据えていた*1。彼は本を読む前に(もしくは読んだ後に)その作家に関する情報を完璧に集め、もしくはあらかじめ知っていることを全て引き出しておいてから、本を読みはじめ、ぎょうざを食ってる時にもページをめくり*2、すばやく読み終える。作家や作品についてなにもかも知っていることを当然のことだと思っている。なぜなら彼は大学で、周りにそんな人間しかいないような環境で本を読まされ、それについて語ることを教え込まれていた。
 以上のような彼の努力を僕はいささかもくだらないものだとは思わないし、それ以上立派な読書家もそうそういないとは思う。ただ、作家や作品についてなにもかも知っていることを当然のことだと思っているがゆえに、僕が一口でもすっとんきょうな発言をすれば、彼のしぼり出すようなぎりぎりの優しさでもって首をめいっぱいかしげ、「それは◯◯のことを言っているのかな?」といったように、やんわりと僕の無知を指摘した上で、すばやくまた彼の知識のレールに戻り、自分の話を続ける。
 彼は首をゴキゴキいわせるのがクセになっていて、きっと骨が変な感じになっているに違いない。
 じゃなくて、そういう、こちら側に「最低限の知識を要求する」ような話し方にうんざりしてしまって、彼のような読書家の友達も、作りたくなくなった。
 それはニコニコ生放送をやってない頃の話で、ニコ生をはじめてから、何人か、数えられるくらいの読書家の人達がそこに来たことがあった。その人達はさっきの彼よりは、自分に近いかなと思えたものの(なにせ、僕がごくたまにする本についての話に、いかなる偶然かそれに反応する人がいた時にしか、わからないから)、やっぱり違うなと思った。
 彼らはとにかくまず学をひけらかすところから入る。間違った言葉を訂正せずにはいられない。仮に聞き入れるとしても、まるで大人が小学生以下の子供の妄想を喋っているのを聞くかのような態度で聞くことしかできない。
 根の部分ではさっきの「彼」と同じようなもので、学校の厳しさをそのまま自分の中に持ち続けた人ということだ。父なる「学校」に強制されないとするなら、誰がいったい活字なんて目のチカチカする精神のいらいらするものを自分から読むというのか?
 それを自分から読む人こそ、本当に僕が欲しいと思っている友人なんだけれども、先走った。それを言う前にさらに注釈が必要になる。
(つづく)

*1:僕がその人の家に入れてもらってからすぐに、彼は仕事をクビになり、一旦また実家に戻ることになった。その時にあの本棚の半分以上の本を売ったという。さらに今彼がどうなっているかは知らない。

*2:実際に彼が片手に箸を、片手に僕が持ってきた本を器用に持ち、それが曲芸の類いではなくごく自然な読み方だというところを「王将」で見せてもらった。