月蝕、20000PV、昔の文章
今夜は月蝕でした。みなさま、見られましたでしょうか。Pです。
僕は予てからあこがれていたにも関わらず月蝕を見るのはこれが初めてで、ぼやける目を眇めては瞠いて、月が欠ける時の、球を意識した動きとは違う、円がそのままスッポリとかぶさるような影の動きを眺めていました。
長いこと出てなかったので、スリッパとか風でどこかへ飛んでいってしまったそのベランダに、介護の実習以来部屋の隅に転がっていたスリッパを出して、チョイとトタン屋根の隙間から覗いては、欠けてることを確認して寒いので部屋へ戻って、の繰り返し。
僕が本当にあこがれていたのは金環蝕で、これは日蝕の方で月が太陽の見かけの大きさを下回った時に見られるきわめて特殊な日蝕で、ドラえもんによると八十年先に起こると言われていて、その宇宙飛行士になるマンガでドラえもんが言っていたことを、頑なに信じていました。*1
自分がおじいちゃんになった時に、「そうか、これがあの時から待ち望んでいた金環蝕か……」といって、眺める予定でした。それがもし外国とかだったら泣くに泣けないけど。
辞書では「月食/月×蝕」と表記され、つまり「蝕」は常用漢字ではないからバッテンなのですが、僕はこういう書き直しは漢字の表現を狭めるものだと信じて疑わないので、あくまで「月蝕」「日蝕」と表記したいと思います。
どうしたものか、このブログも、先頃20000PV(ページビュー)を超えさせて頂きました。これもひとえに、このページを開いて下さるアナタ、そう、モニターの前で逆立ちをしながらきゅうりのつけものをムシャムシャしつつこれを読んでいるそこのアナタ、アナタ方のおかげでございます。
当初からまた方向性が変わっていって、というか僕は結局こういう書き方しか出来ないんだなっていう書き方に落ち着いて、それも自分でようわからんと叫びたくなるようなシロモノですが、いつも不均衡をモットーにしているので、いつ何が出るか知れないという気分で眺めていただけたら有難いです。
まあ、リアルな話をすれば、ここで回るカウンターのほとんどは、キャッチーなキーワードの検索によるものがほとんどであるのは、確認済みなんですけれども。
カナメさんが自分の書いた昔の文章を読み返していたので、僕も自分の書いた昔の文章を読み返すことにしました。
ひとつ、「二つのことを同時に記述する」試みをしているのがあって、これは今でも通用するのではないかと、ちょっと思いました。
小説でも映画でも落語でもなんでも、「一方その頃」式の、カットバックという手法があり、それはある節ごと、一つの場面について書いてあって、次の節でもう一つの場面について書き、次の節ではまた最初の場面に戻り、……といったようなもの。これは想像に難くないと思います。
しかし、それを段落ごとにやってみるとどうか。いや、センテンスごとにやってみたらどうなるか。いや、場合によれば一つのセンテンスの中にも二つのことをねじ込むようにしたら、……と、可能な限りの早さで切り替えていったら、どうなるか。
というような試みだったのですが、まア普通に読んだらわけがわからないの一言。