王制はまだ残る

 気紛れに永井荷風の「来青花」を読んでいた。永井荷風を読むときの僕のアクセントが今までその父親の方になかったから、題名を見ても、「来青」というのが父の漢学者としての「号」だったことすら気がつかなかった。はじめの方だけ読んでそれはあんまりだと思ったので、Wikipedia で、なんとなくだけでも調べようと思った。
 永井荷風(壮吉)の父、永井久一郎。

名は匡温(まさはる)また温、字は伯良・耐甫、号は禾原(かげん)・来青。通称が久一郎である。

 え? 通称が久一郎? 本名っぽいけど。じゃあ本名はどれ? 日本の古い名前の制度について、なにも知らない。
 それはともかく、

正四位。

 なんの前書きもなく、述語もなく、父親の属性として、正四位とある。ふつう、わかるものなの? ごていねいに、リンクが張ってある。
 正四位。

正四位(しょうしい)とは、日本の位階及び神階における位のひとつ。

 しょうしいって、読むんだ。せいよんいって読んでた。正常位に響きが似てる。

従三位の下、従四位の上に位する。贈位の場合、贈正四位という。

 まあ、言葉の響きで、だいたいそんなことだろうとは思った。それにしても、現代においても、まだこんなものが生き残っていたんだ。

近世・近代で正四位に叙せられた人物
(中略)
市川崑 - 2008年2月13日

 へえ。あの映画監督の市川崑が。セルフリバイバルの「犬神家の一族」を遺して逝ってしまわれましたけれども。リバイバルの「犬神家の一族」は、まだ彼女がいた頃に彼女と見に行った。市川崑も知らなければ、横溝正史が金田一シリーズを書いていたとかもぜんぜんぼんやりとしか知らなかった。つまり「と見に行った」というより「連れて行かれた」。でも後で調べたところによると、エヴァンゲリオンの有名なタイポグラフィーは、市川崑の影響を受けていると知って、ちょっと驚いた。
 自分はその時、映画とか、まったく興味がなかった、というか、どこからつかみかかっていいのかわからないような状態だった。彼女はいろんな映画を見ることにハマっていた。有名なのから外国の聞いたことないようなものまで。それを見て、「映画? フゥン」というくらいにしか思っていなかった。
 もっと、映画について、いろいろ話していればなあ……。

 それはともかく、「正四位」だのなんだのという、爵位みたいなものは、われわれにはむしろ目新しいような、別世界のような感じを与える。
 ちなみにこの位は、「従何位」という、水泳の「準一級」「一級」みたいにサンドイッチみたいになって、「正四位」「従三位」「正三位」「従二位」……みたいに並んでいる。
 そう、「係長代理」「係長」「課長代理」「課長」みたいに……。
 今や爵位だのなんのというのは完全に古くなり、マッカーサーと並ぶ昭和天皇の写真を象徴として「天皇はただの人だ」という認識が広がって、たとえば市川崑が「正四位」だとしても「それは皇族の人達がそう言ってるだけでしょ? そうじゃなくて、市川崑は単に映画を作る才能があったから、価値ある人なのであって……」うんぬんという見方をする人が多数派になっている。自由恋愛はそんな言葉を使わなくなるほど当然のことであり、家制は消えうせた、「先祖代々の……」などという言葉を聞けばその人を幽霊を信じている人のように見て、その代り「遺伝性の病気」とかいった、「科学」に裏打ちされた概念を信じるようになった。