暗誦
前の更新から三日あいてしまいました。Pです。どうも。こんばんは。こんにちは。いやおはようございますだけど。
僕が2011年の11月11日の午前11時11分11秒になにをしていたのか、みなさん気になるところだと思いますが、狙ったとかじゃなくて、宮沢賢治の詩を読んでいました。
こんど青空文庫において宮沢賢治の「詩ノート」と「春と修羅 第三集」の校正をすることにしたんですね。宮沢賢治が生前に発表した詩集は「春と修羅 第一集(『春と修羅』)」だけなので、どちらも刊行はされてないのですが、それでも十分に詩集です。
これは「メモの段階ですでに完成していた」みたいなことではなくて、そもそもが未完のまま書き換え続けて、最終的に未完のまま刊行されるという、宮沢賢治独特の創作プロセスによるものだと思います。
世の中には、驚くべきことに、「完結を目指さない」のではなく、「未完を目指す」類の創作家がいるということに、勇気づけられるわけですが、それはおいといて。
今のは読んだあとの感想なのでちょっとフライングですが、そうとは知らず「宮沢賢治だから……」という軽い気持ちで、全く(とはいっても「春と修羅」は読んだし、いろんな作家からのイメージというのが少なからず積み重なってはいたけど、本当に、本腰を入れて「詩」を読むというのがはじめてだった)読んだことのないこの「詩ノート」「春と修羅 第三集」に手を出したわけなんですが、読んでいるうちに、いろんなことを考えさせられました。
1、科学と美学のわけへだてをなくす
2、フィクションとそうでないもののわけへだてをなくす
3、韻文と散文のわけへだてをなくす
4、そうして生まれてくるものは俗とかぎりなくへだたった、西洋からは出てきようもない聖い詩だった
ごくごくかんたんにいえば、こんなところでしょうか。
そんなに好きなら、一つ暗誦してみようと、詩の暗誦とかなんかかっこいいじゃないですか、だからやってみようとしたのですが、ほんの数行覚えるのにけっこう大変ですね。
苹果の枝を兎に食はれました
桜んぼの方は食ひませんで
桃もやっぱり食はれました
そらそら
その食はれた苹果の樹の幽霊が
その谷にたっていっぱい花をつけているでないか
こんなだったかな?今覚えで書きました。
ちなみにこの詩は「詩ノート」の中に入っている題名なしのものなので、便宜上題名は「〔苹果の枝を兎に食はれました〕」となっていました。
「苹果」というのは宮沢賢治独特の書き方で「りんご」と読みます。
本物をちょっと写そうと思います。合ってたら拍手を。
苹果のえだを兎に食はれました
桜んぼの方は食ひませんで
桃もやっぱり食はれました
そらそら
その食はれた苹果の樹の幽霊が
その谷にたっていっぱい花をつけてゐるでないか
アッー。おしい。
「えだ」はひらがな。
「そらそら」以降の字下げは2字下げ。
「つけている」は「つけてゐる」と書く。
でも発音は全て合ってました。拍手……?
たったこれだけ覚えるのに、けっこう苦労しました。劇とか、セリフとか覚える人って、いったいどうなってるの? って思いました。
声優とか目の前に台本持ってていいし、ドラマとかだったらカットとか見た目よりもずっとかなり刻んで入れてるから、一回ごとのまとまりが少ないだろうけど。劇は……。
そんな2011/11/11、11:11:11でした。