断腸亭日乗(2)

 Pです。
 今しがた「断膓亭日記巻之二大正七戊午年」、つまり年ごとに一巻としている永井荷風の「断腸亭日乗」の二巻目の入力を終えました。
 一巻目は九月からはじまっているので、一年分まるまる揃っているのはこれが最初の巻です。
 季節が冬、冬から春、そして夏、夏から秋、そしてまた冬と、移り変わっていく様が、とても簡潔に、しかし眼前に広がるかのごとく描かれています。
 でもここでまずちょっと話をずらしますが、この「巻之二」(これなんて読むんでしょう。とりあえず「まきのに」と読むことにしています)で書かれている大正七年って、そんなに季節が画然としていたかというと、そうでもないです。

七月十五日。去十二日より引つゞきて天気猶定まらず風冷なること秋の如し。四十雀羣をなして庭樹に鳴く。唖※[#二の字点、1-2-22]子の談に本郷辺にては蝉未鳴かざるに早く蜩をきゝたりといふ。昨日赤蜻蜒の庭に飛ぶを見たり。是亦奇といふべし。

 七月、まだ蝉も鳴かないうちからヒグラシが鳴き、トンボが飛び交う。異常気象と言われる昨今ですが、ちょっとした異変なら、この頃からちょくちょくあったということですね。
 そんな「断腸亭日乗 巻之二」ですが、大きなポイントは、二つあるでしょうか。

1、花月の創刊と廃刊

 四月、永井荷風含め何人かと企って「花月」という文芸誌を創刊します。

四月朔。唖※[#二の字点、1-2-22]子及び新福亭主人と胥議して雑誌花月の発行を企つ。

四月九日。花月第一号草稾大半執筆し得たり。
四月十日。雨烈しく風寒し。築地けいこの帰途新福に立寄り、主人と雑誌花月の用談をなす。

四月廿七日。晴又※[#「こざとへん+(人がしら/髟のへん)」、第4水準2-91-70]。花月第一号校正終了。

五月五日。母上粽を携へて病を問はる。昼過四時頃驟雨雷鳴。夜に及んで益甚し。電燈明滅二三回に及ぶ。初更花月第一号新橋堂より到着す。

 こうして意気揚々と立ち上げられた花月ですが、……

十一月二日。午後唖※[#二の字点、1-2-22]子来談。雑誌花月今日まで売行さして悪しからざる様子なりしが京橋堂精算の結果毎月弐拾円程損失の由。依つて十二月号を限りとして以後廃刊することに决す。雨烈しく降り出で夜もふけたれば後始末の相談は他日に譲り、唖※[#二の字点、1-2-22]子車にて帰る。

 採算が取れず惜しくも廃刊となります。

2、この日記の名前の元になった家、「断腸亭」を売ることになる

 そもそも「断腸亭」というのは、この年まで永井荷風の暮らしていた、(親から譲り受けた?)家の名前だったのです。それを、この「日記文学」を代表する断腸亭日乗のオープニングで、売ってしまいます。

八月八日。筆持つに懶し。屋後の土蔵を掃除す。貴重なる家具什器は既に母上大方西大久保なる威三郎方へ運去られし後なれば、残りたるはがらくた道具のみならむと日頃思ひゐたしに、此日土蔵の床の揚板をはがし見るに、床下の殊更に奥深き片隅に炭俵屑籠などに包みたるものあまたあり。開き見れば先考の徃年上海より携へ帰られし陶器文房具の類なり。之に依つて窃に思見れば、母上は先人遺愛の物器を余に与ることを快しとせず、この床下に隠し置かれしものなるべし。果して然らば余は最早やこの旧宅を守るべき必要もなし。再び築地か浅草か、いづこにてもよし、親類縁者の人※[#二の字点、1-2-22]に顔を見られぬ陋巷に引移るにしかず。嗚呼余は幾たびか此の旧宅をわが終焉の地と思定めしかど、遂に長く留まること能はず。悲しむべきことなり。

 本当に、悲しむべきことなり。
 でもこれ、僕頭悪いからだと思いますが、「果して然らば余は最早やこの旧宅を守るべき必要もな」い理由が、ちょっとよくわかりません。
 貴重なものは全部、威三郎(弟)の家に持っていったから、もうこの家にはガラクタしか残っていないだろうと思っていた矢先、掃除がてらに床板を引きはがしたら、父親の使ってた陶器文房具が見つかった。
 母は父の愛用していたものを私(荷風)に与えることを快しとしていなかったから、ここに隠しておいたらしい。
 果して然らば余は最早やこの旧宅を守るべき必要もなし。
 どういうことなんでしょう。わかる方がいたら、教えて下さい。
 いずれにせよ、この瞬間にこの家を売り渡すことを決意して、不動産屋とかけ合います。

十月十九日。晴。呉服橋外建物会社に赴き社員永井喜平に面会して売宅の事を依頼す。帰途唖々子と清水に飲む。銀座を歩み赤阪鳴門に憩ひまた一酌す。花月第七号校正。

 偶然なのかこの不動産屋の名前も「永井」です。永井荷風の本名は永井壮吉です。

十一月朔。築地三丁目に手頃の売家ありと聞き、早朝徃きて見る。桜木の近鄰なり。立寄りて寿美子を招ぎ昼餉を食して家に帰る。

十一月三日。建物会社より通知あり。この度は築地二丁目の売家を見る。南風吹きて暖なり。

十一月十一日。昨夜日本橋倶楽部、会塲吹はらしにて、暖炉の設備なく寒かりし為、忽風邪ひきしにや、筋骨軽痛を覚ゆ。体温は平熱なれど目下流行感冒猖獗の折から、用心にしくはなしと夜具敷延べて臥す。夕刻建物会社※[#二の字点、1-2-22]員永井喜平来り断膓亭宅地買手つきたる由を告ぐ。
十一月十二日。吉井俊三といふ人戸川秋骨君の紹介状を携へ面談を請ふ。居宅譲受けの事なり。夕刻永井喜平来る。いよ/\売宅の事を諾す。感慨禁ずべからず。
十一月十三日。永井喜平来談。十二月中旬までに居宅を引払ひ買主に明渡す事となす。此日猶病床に在り諸藝新聞を通覧す。夜大雨。

 ついに断腸亭に売り手がついて、連日売宅の手続きに明け暮れています。しかも風邪からの病み上がりで。
 そして、涙を禁じえなかったのがこの日。

十一月十五日。階前の蝋梅一株を雑司ヶ谷先考の墓畔に移植す。夜半厠に行くに明月昼の如く、枯れたる秋草の影地上に婆娑たり。胸中売宅の事を悔ひ悵然として眠ること能はず。

 ちなみに「悵然」とは、……

ちょう‐ぜん〔チヤウ‐〕【×悵然】
[ト・タル][文][形動タリ]悲しみ嘆くさま。がっかりしてうちひしがれるさま。
「―として溜息ばかり吐(つ)いて」〈紅葉・二人女房〉

http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/144521/m0u/%E6%82%B5%E7%84%B6/

 なんとも痛々しい。
 ここからも年末にかけて、家に関するゴタゴタやなんか、いろいろ読みどころはありますが、それは本文が、青空文庫に公開された日に、みなさんの目で確かめてみて下さい。
 もちろん、図書館に行けば、いつでも読めます。