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 久しぶりの日記がちょっとグチですが許してください。Pです。
 ツイッターのトレンドという、使用頻度が急上昇した単語が表示される機能があるのですが、そこに「動画のコメント」という語がありました。名前から予想されるとおりそれはニコ動に関連したニュースだったのですが、それはニュースと言うよりは個人のブログで、謳い文句は「ニコ動のコメントを分析したらその大半は中学生だった」みたいな感じでした。
 ツイッターだからそれを有象無象の方々が広めてるわけですが、その人々のニュースに対する一言コメントをざっと眺めたところ、その「分析」とやらの信憑性を疑わず、「そんなことだろうと思った」という類のものが多いことに驚きました。
 彼らは自分が客観的にニコ動の現状を眺められていて、その低年齢化を嘆ける立場にあると思いこんでますがその実、ニコ動にコメントを打つときにデフォルトの設定、つまり七八割を占めていると思われるコメントが「184」、つまりどうやっても身元の確認できないコメントであり、残りの何割かの統計を取ったところで全体の比率を写しているとは考えられず、というシステム(全体像)に思い至らず漠然と「コメントって年齢もわかるもんなんだな」と思い込んで、「中学生ばっかりだったのか、そんなことだろうと思ったよ」といって分析の正確さを吟味せず情報を広めるといういわば、同じ穴の狢だとしか僕には見えませんでした。
 だけならまだ「騙される人いるんだな」で済みますが、その当のブログの記事のコメントに(ここまでで図らずも三種類の「コメント」が出てきて実にややこしいですが、これはネットの単語の体系化の不備自体によるわかりにくさだと思うのでこのままにします)、「統計に相当穴がありますが、肌合いとしてはそんな印象を受けます」という趣旨のものを目にしたに及んで、僕はぶっくら返りました。
 その人は統計が不正確であること(しかも中途半端に頭が良ければ、どれくらいの不正確さを持っているのかすら)がわかるにも関わらず、「感じ」がだいたいそうだから、この記事は肯定できるものだと言っています。
 考えてもみてほしいですが、仮にこの記事が「僕はコメントを見てると全部中学生が書いてるようにしか思えない」という書き出しだったら、誰もこの記事を注目することすらないでしょう。
「統計」という言葉、円グラフと棒グラフが並んでいるその見た目などのもっともらしさに立脚した記事は、そのデータの正確性がここまで維持できなかったとしたら、終わりです。
 それとも、世の中というのはそういう風に回っていて、いわゆるプレゼンとかいうのもそのレベルでスイスイ進むものなんでしょうか。
 プレゼンなんて、やったこともなければ見たこともないのでわかんないですけど。
 ご静聴ありがとうございました。