随もいいところ筆

 今日のジムはなかなか面白かった。ストレッチマット上でイチャイチャしやがるカップルとか、ランニングマシンを低速で回しながら、ムキムキポーズを取ったり頭をガンガン振ったりしながらモデル歩きをしている筋骨隆々の男とか……。
 最近はもう「休みの日にジムに行こう」が通用しなくなっている。今日だって休みだけれども職場に駆り出されて、それはたった数十分の用事のはずだったけれども自分のフロアが休みの人が多いために結局いつものフロア業務までやるハメになった。もちろん強制ではなかったけれども、ここで行かなかったらシメシがつかないような状況に、すでになっていた。うちは優良で公正な企業だから、なに事にも残業代は付くんだけれども。
 とにかくシフト上の休みは丸々休めるかどうかもはやわからない。夜勤明けの後の休みなんか、一日中寝てしまう。だから、きのうみたいに仕事上がりにわずかの時間を見てジムに行くようなことも、しなくちゃならない。
 新しい業務も、次から次と任されるので、それがある度に「今は落ち着かないから」と一旦でも休んだら、即座に筋力が落ちて行く。
 筋繊維はただ無暗となくなるのではなく、消化と同じようにアミノ酸にまで分解されてエネルギーに徐々に変えられていく、もし筋力を使い続けなければ。脳だって同じことで、やっと使いこなせたつもりになっているこの漢字直接入力も、しばらく集中して書くことをしなかったら、「即」の字もどうやって出すのか忘れかけてしまう。まして「旦」においてをや。「即」なんか一面の漢字だから、二打で済むのに忘れてしまう。
 漢字に関する知識もずいぶん落ちてしまった。「耕」って、何でこんな形してるんだっけ? 「墓碣」って、何て読むんだっけ?
 お年寄りばかり見ていて、能力の低下を一つ一つ実感してはなげいている様を見て、「でもそれは仕方ないことなんだよ」なんて心で思いつつ、いざ自分がちょっとでもそれと同じことに直面したらこのザマだ。
 ところでみなさん、今自由に水分を取れるということは、非常にありがたいことなんですよ。ノドが渇いたら好きなだけ水を飲めるということは。水分制限というものほどツラいことはない。若い頃からの節制が大事だ。
 とはいえよほどの暴飲暴食をやっていなければ、腎不全にはならない。腎「不全」心「不全」不全というのはその器官に関する障害全般を指すもので、ある特定の症状を言うものではない。
 冠状動脈が詰まることも動脈瘤が破裂することも心不全であり、要するに「カゼですか?」「カゼっぽいですね」くらいの言葉の精度しか持たない。しかし言葉の精度は上がれば上がるだけ良いものなんだろうか。
「春」と言わず「5月12日」と言ったところでその情緒はよりクリアに伝わるだろうか。佐々木中によれば世界は人間にはまず詩として現われた。この世界全てが、まず表現そのものだった。詩であり世界であり表現である何ものか、というのは「5月12日」のことではない。別に自分の誕生日でもない「5月12日」がなんで突然出て来たんだろうか。