鎌倉の日(3)

 鎌倉駅に着くと、まず目に付いたのが「鎌倉へようこそ!」という、ホテルの錆びた看板だった。
 僕は錆びた看板を見る度に、「ruins」という単語が頭にチラつく。「ruins」とは廃虚という意味らしいけれども、同じ意味を「abandon」という単語も持っているらしい。いったい、どちらがより「廃虚」に近いニュアンスを持っているのか、それがわからない。
 そもそも「廃虚」という単語が、「廃虚」と書かれたり「廃墟」と書かれたりする。「墟」という字自体が、「廃墟」という意味以外、持ち合わせていないらしい。それなら「墟」だけで良いのではないかと思うけどそう考えると、「ruins」と「abandon」のように、どの単語が中心的に「それ」を指しているのかわからないという事情は、日本語においても同じらしい。
「鎌倉へようこそ!」の看板の奥には民家の物干しがあって、さらにその隙間からは迫るような山が見えた。
 しかし不思議なことに駅の改札を出たらその山は後景に退いて、普通の駅前の風景になった。きっと、そこそこ高い建物に囲まれたら、いくら高い山といっても存在感が消えてしまうんだろう。
 鎌倉駅西口から出て御成通りをしばらく行き、それから若宮大路を行った。
 本当は今みたいに地図を開くことはその場ではしないで、「ここまで海に近かったら、もう看板だけ頼りに海まで行けるだろう」と踏んで、適当に歩いた。若宮大路はすでに「海までの道」にふさわしく、巨大な松の木が道なりに植わっていた。
 こういうところに来るといつも思うことだけど、東京のスケールに慣れていると、田舎のものは何でも大きい。冗談で「アリまで大きい」なんて言うけれども、建物や松の木まで巨きくて、ふと横を通る人が小人か何かのように見えることすらある。
 思えば異常があるとすればそれは都会のケチくさい空間の使い方の方であって、言うまでもないけれども人口が過密すぎてそんな異常なスシ詰めの中にいて、その小ささを誰も認識しない。なぜか内壊寸前のその密度の方が数として正義になるため、やもすれば攻撃的な「普通」という言葉に、その違和感は吸収されてしまうのだ。
 そんなことを考えつつ鎌倉市立第一小学校を過ぎ鎌倉簡易裁判所を過ぎ、いくつかの「海の店らしい」店を通り過ぎた。日差しは夏のまま暑く、白いテラスとイスとテーブルを照らしていた。
(つづく)