レク会議

 今日はレク会議だったけれども、上の空で漢字の仕組みについて考えていた。
 喋り言葉は、ものすごくあいまいな認識をすることになっている。喋りを聞いていて、意味のわからない部分が発生した時に、いちいち気にする人はいない。たとえば全体として別の意味の流れが保障されている時は、その部分をカットして先に優々とすすむことが出来る。
 しかし書き言葉はそのようにはなっていない。一つでも、モザイクのように意味が通っていない部分があったら、それは普通じゃない事態として動揺される。というか、そもそもそういうことを書く方法を持っていない。
 あいまいに喋ることは出来ても、あいまいに書くことは出来ない。
 それの解決法ということではないけど、それとは別に、例えば実験的な文体というものが、もっともそんなものは永遠に古いけれども、ありえるとして、その一つとして考えたのが、漢字の仕組みを自己組織化する部品としてとらえる、ということも、レク会議中に考えた。
「疑」という字が「ヒ矢マ定」という四つの部品で出来ていたり、「鬱」という字が「木缶木ワ※ヒ彡」という部品で出来ていたりすることは、みんながよく知っている。しかし、一つ一つが文字でもある部品から、さらに一つの文字が出来ている、という認識のしかたは、なかなかされることがない。
 というわけで、「ヒ矢マ定木缶ワ※ヒ彡」に当たる部品をばらばらに配置することによって、それが八方に流れるように文章を作ることはできないだろうか……。