エリック・サティ「ジムノペディ 第一」、バッハ「平均律クラヴィーア曲集、第一集第一曲プレリュード」/永井荷風「ふらんす物語」/「南」

Gymnopedie other by P-ziq
 また公園に行って、カリンバの練習をした。クロマティック・カリンバ(仮称)でのまともな練習はこれが初めてで、それにしては……くらいの出来。
 これらも、やりたい曲の中には入ってたけど、本当にやりたい曲は、まだまだたくさんある。
 簡単な和音としての「ジムノペディ」と、分散和音的な旋律の「プレリュード」。技術的にいっても、なかなかいい選曲だと思う。
 今のところ、順調に、思い描いた通りに進んで来ている。
 これで「どれだけの音が一度に出せるか」「指を動かせるか」「どれだけの速さが出せるか」等をうかがいながら、本当にやりたい曲に移っていく。
 それにしても、人間って、同時に鳴った音の中で、真中が多少抜けても、だいたい同じように聞いてしまうのには驚いた。



ふらんす物語」は今「雲」のところを読んでいる。のちに全篇をまとめて語ってみたいけど、その暇が訪れるかどうか……。
「雲」は、この短篇集の中で、一番長い作品。保坂和志の「小説の長さは、彫刻にとっての質量と同じ意味で、本質的なものだ」という言葉を聞いてから、長さを気にするようになった。これが一番長い作品になった理由があるはずだ。
 それは、放蕩の限りを尽している永井荷風の作品群の中で、唯一「家庭を作る」試みをしていることだと思う。
 そもそも永井荷風は、家庭を作るのはヤボったく、所帯じみたことは嫌いで、一人の女に生涯添いとげるのは狂気の沙汰だといっている。
 そんな荷風が、あえてでも、また人生を俯瞰するタイプの一篇であっても、一旦結婚してみるという話を作ったので、その必然性を作ったり、またどう展開させるか、に手間取って、ふだんの一瞬を切り取るような一篇になっていないんじゃないか。
 やっぱり明日の仕事のことでボーッとして適当なことばっかり言ってるので、また今度、落ち着いてから考え直すことにする。


 仕事のこともチョイチョイつぶやいてかないと、見てる人も「何やってるの?」になるし、自分でもあとで読み返した時に「あの頃のこと、書いてあったらなあ」って思うだろうから、書けるはんいで書くことにする。
 とはいってもそれはすごく狭いはんいで、固く決められた僕達の掟の中には、「守秘義務」というのがある。
 仕事場で見たこと、聞いたことは口外してはならない。
 そんな状態で、一体どうやって、この苦労、この楽しさを伝えたらいいだろうか?

 僕の働いているフロアは「北」と「南」に分れていて、Pさんは入ったばかりのペーペーのポンチキのプンコロファレックスだから、はじめの方は北と南、ちょいちょい行き来する感じだったのが、最初の一ヶ月くらいは「北」に集中することになった。
 北にはもうだいぶ慣れてきた。それを機敏に見て取った上司の方が、ちょうどいいタイミングで「南」に放り込んで下さった。
 久しぶりに来た「南」では全く対応が変わってしまって、今まで覚えてきたことが、ほとんど役に立たなくなった。

 これくらいならいいかな?