カラマーゾフの兄弟

 最初ものすごい勢いでドストエフスキてるPさんです。みなさん、ごきげんよう。
 特にある事情があって急いで「カラマーゾフの兄弟」を読んでいるんですけど。
 帯がめっちゃムカつくんですね。
 上巻には「東大生に東大教師がすすめる本の第一位!」って表にあって、ウラには「ブログ」のえらそうな書評が書いてあるんですね。

四の五のいわず読め(命令形)。

 さぶっ! まあいろいろ言いたいことはありますが、一つだけ言うとすると、「誰のおかげで小説を読んで、それを評価するというのが出来るようになったのか、考えてみろ」ということです。影響関係が、全く転倒していて、話にならないんですね。
 中巻は金原ひとみで、「上巻は三ヶ月かかって、中下巻は三日で読みました!」とかいって。
 つまり中下巻で「怒濤のストーリー展開」があって面白いから、三日で読んだ、といいたいようなのですが、この人は、つまらないと思ったものを時間をかけて読んで、興味深いと思ったものには全く時間をかけないという、非常に込み入った読み方をする方のようだ、ということがわかりましたので、この二つの帯はポイして、僕は読みはじめたわけですけれども。
 そんな話をしたいわけじゃないんですよ。僕は本を読んでいる時に他の本との関係が、偶然にしても現れてくるのが楽しくてしかたがなく、この場合には、「ゾシマ長老の奇蹟」と、佐々木中中井久夫を引いて言う「ワンオブゼムネスとオンリーワンネス」の問題が完全に呼応していることが面白くてならなくなりました。
 長くなりそうなのでザックリいきますが、ゾシマ長老というのは、主人公達の住む町の近くの僧院にいる長老で、かなりの権力を持った聖人と見做されています。
 長老には日に何十人も、問題をかかえた人が訪れ、長老に祝福をもらうか、もしくは話を聞いてもらって解決しようと思っています。
 その場面なのですが、まずその群衆の中から一人の女が進み出て、「わたしは息子を亡くして、その子のことが忘れられず困っています。夫は飲んだくれで、嫌になって家を出てきました」と訴えます。
 長老は、「息子さんは神に向かって、私を天使にして下さいと頼み込むくらい、元気にやってます。なので、元気をお出し」みたいなことを言います。
 それなら普通ですが、泣けるのは

……ただ、配偶《つれあい》を捨てておくのはそなたの罪になるのじゃ。帰ってめんどうを見てやりなされ。そなたが父親を見すてたのを天国から見たら、その子はそなたたちのことを思って泣くじゃろう。どうしてそなたは子供の冥福《めいふく》に傷をつけるのじゃ? その子供は生きておるのじゃよ。おお生きておるとも、魂は永久に生きるものじゃもの。家にこそおらねど、見え隠れにおまえがたのそばについておるのじゃ。それなのにそなたが、自分の家を憎むなぞといったら、どうして子供が家へはいって来られよう! おまえがた二人が、父親と母親がいっしょにおらぬとしたら、子供はいったいどっちへ行ったらよいのじゃ? 今そなたは子供の夢に苦しんでおるが、配偶《つれあい》のところへ帰ったなら、子供が穏かな夢を送ってくれるじゃろう。さあ、おっかさん、帰りなされ、今日すぐ帰りなされ……

カラマゾフの兄弟 上より)というところで、つまり天から見ている息子が帰って来た時のために、家に帰って夫と一緒にいよ、ということなのですが、ここでちょっと僕は不覚にも涙が出そうになったのですが、それでその女が感謝をくだくだしく述べていると、……

……とまたもや女は、愁嘆をくり返しそうになったが、長老はもう別の老婆の方へ向いていた。それは巡礼風ではなく、町の者らしい服装《なり》をしていた。……

 つまり次がつかえているので、さっきの女の人はそれきりで、次を見る、また次を見る……と続いていくのですが、ここで思い出したのが、前述の中井久夫の「ワンオブゼムネスとオンリーワンネス」のことです。
 中井久夫は精神科医で、実践と理論のどちらもきわめて優れているという人なのですが、その人が心のバランスとして挙げるものに「ワンオブゼムネスとオンリーワンネス」があるんですね。
「ワンオブゼムネス」というのは、「私は地球上にいる50億という人間のなかの、たった一人にすぎない」という感覚で、これが強すぎるから、鬱病になるのではないか。
 一方「オンリーワンネス」というのは、「私というのはたった一人の、かけがえのない存在」という意識で、これも強すぎると、問題がある。
 人は無意識のうちのこの両者のバランスを取っていて、どちらもたしかに真実ではあるけれど、要は心の持ちようで、うんぬん、みたいなことです。
 このゾシマ長老の場面では、ドストエフスキーが、「ワンオブゼムネスとオンリーワンネス」の二つを、丁々たる音を響かせてぶつけ合わせている、という気がしてなりません。
 今まさにここを読んでいる最中なので、これからこの問題が中心となって展開していくのかそうでないのか、また何を肯定的に何を否定的にうつしだしていくのか、それは全くわからないです。