文化の高まるにしたがって、人間は迷信的になるものだ、ということを皆さんは理解されるであろうか。

 文化の高まるにしたがって、人間は迷信的になるものだ、ということを皆さんは理解されるであろうか。角力トリのある人々は目に一丁字もないかも知れぬが、彼らは、否、すぐれた力士は高度の文化人である。なぜなら、角力の技術に通達し、技術によって時代に通じているからだ。角力の攻撃の速度も、仕掛けの速度や呼吸も、防禦の法も、時代の文化に相応しているものであるから、角力技の深奥に通じる彼らは、時代の最も高度の技術専門家の一人であり、文化人でもあるのである。目に一丁字もないことは問題ではない。

 坂口安吾「太宰治情死考」より。
 このエッセイ面白くて、もともと太宰治の「情死」について書いてあると思って読んでいたら、即「スモウレスラー」の話に転がり込む。そのあとでまた太宰治の「情死」の話になるんだけれども。
 そのスモウレスラー達は、相撲に関する技術ばかり磨いていて、他のことは一顧だにしないけれども、それは時代に通じていないということになるか、否。という話。
 文化の高まるにしたがって、迷信的になった、なれの果てがわれわれで、これからもっと迷信的になる。