古語

 眠い。眠い眠い眠い。どうもこんにちは。ギャグ飛ばす余裕もないPさんです。
 でも世の中には、一日六時間、睡眠取ってない人、いると聞くので、これくらい、何ともないと思って、あと数時間、意識を保とうと思います。
 僕はもう最近は、眠いという意識の変容を、楽しみながら観測するという余裕なことも思えるようになったので、これはなんといっても大丈夫な証だと思っています。
 樋口一葉の文章を読むために、ブックオフで古語辞典を買いました。売場の棚を見てわかったのですが、ブックオフの辞書の棚の中では、一位は英語関係で和英英和辞書がぶっちぎりですけど、第二位の辺に古語辞典、入るかもしれないってくらい置いてあります。いや、よく見てなかったけどふつうの国語辞典? 広辞苑とか大辞林とか旺文社とか、多かったのかもしれないですが、古語辞典、そのふつうの辞書より使いどころない割に学校で必須だったりするので売りが多いのかもしれませんね。
 たとえば、バイト代そこそこ入るようになってきたので多少無理はあるけど一人暮らしをすることにした一人の青年。期待に胸膨らませながら新居に持ってくものと捨てるものを整理してたら、高校時代に使っていた古語辞典が顔を出す。
 急に懐かしい香り(記憶)が鼻をうつ。彼の頭には高校の教室、変にシンプルな、いつも二分だけ進んでいた時計や、黒板の横に据え付けられたグッピーの水槽、足のゴムがすり切れて嫌な音を立てて木製の床を擦る椅子や机が頭を掠め、それからゆっくりとその辞書を使った、古典の授業を思い出す。
 本当に十二単でも着せたらサマになりそうな、扇形に広がるつやつやした黒髪をなびかせ歩く、キリッとした先生だった。体は少し太めだが、身のこなしは鋼の通ったように隙がなかった。よく通る声で水槽の水面にきれいな波紋を立てた。黒板に書く一つ一つの文字が流れるような草書体で、教科書の模範の字と拮抗するくらいのレベルだと、彼には思えた。
 授業もとてもわかりやすく、平面的に等速的にテキストをなぞるのでなく、一つ一つの語義について長い注釈が付いた。「みず」ということばはもともと「み」という一語で表された。重要なことばはすべて元々一音節だった。吹奏楽部の副顧問をやっていたため、たまに部室の鍵のやりとりなどがあった。
 決して、印象の悪い先生ではなかったし、むしろ出来たら授業はまじめに受けたいと思えるほど好感を持っていたにもかかわらず、そのころから彼の体にまとわりつきはじめた怠惰がそうさせなかった。夜にゲームをするために授業中ずっと寝ていたし、必要な教科書や辞典が今教室のどこかにあるのか、家にあるのかすらわからない体たらくだった。一回寝るともうついていけない。本当は何でもちゃんとやりたいと思っている彼は、いったんついていけないと思うとすべてが終わったような気がして、ぜんぜん眠くなくても寝たフリをするようになった。
 ……。
 なんてことを、引っ越し前に、思い出して、「もちっとまじめにやればよかった」と思う反面、いつ使うのってのがわからなくて、「ブックオフに売る」段ボール箱に放り込む。
 そんな人ばっかりいるから、英和和英辞書に準じて、売られるのが多いのかもしれないと、思いました。
 ふつう新しいのとかは定価の半額で何千円とかするんですが、ふっるーいのだと百円とかいうのもあって、それ、安くていいんじゃないの? って思って開いてたら、本の間にどうやってか潰れずに生きてるあの小さいムシが、ちょろって走るのが見えて、ああ、安物買いいけないなと思って、三百円のにしました。
 あの先生の名前が思い出せない。