呼吸

 とりあえず、エッセイだけは書かなきゃいけないことになったので、ここで、呼吸を整えておくことにする。
 それで言えば、わたしは今まで、ここやこのようなところで、ひたすら呼吸を整え続けていただけ、と言えるかもしれない、その息遣いを、結局どんな運動にも使わずに、ただし、それで言えば、丹田式呼吸法とか、太極拳とか、呼吸法それ自体が目的と化しているような、そういう呼吸法もなくはないが、とりあえず、呼吸とは、体内に酸素を循環させる一つの方策と見做されていて、現代では、で、それら丹田式とか、太極拳とか、そういったものも、おそらくいざという時に、全力を出すための一つのツールみたいもの、であったのではないかと思われる。
 機械式呼吸法で言えば、いわゆる在宅酸素とか、携帯酸素とか言われているものと、人工呼吸器と言われているものは役割が違って、在宅酸素とか携帯酸素というものは、すでに呼吸の出来る人が、さまざまな理由によって体内に酸素を巡らせる力が足りなくなった時に、それを補うように、吸気の中に何割か、マスクやらカニューレ(鼻に軽く管を差し込む)を装着し、純粋な酸素を混ぜ込ませるものを指し、人工呼吸器は、気管を切除しそこに差し込むのが主流だが、もしくは口にマスクをピッタリとつけて、自発的に呼吸が出来ない人に、単純に空気圧を変動させることによって、呼吸させるというものだ。在宅酸素などを使っている人は、まだ長生きも出来ようが、人工呼吸器を使っている人は、そう長くはない……。
 もし人工呼吸器を家族の同意なく外したのであれば、それは自殺幇助であるとか、殺人であるとかいうが、呼吸の仕方こそが魂の出入りであり魂の在り方そのものであるという東洋医学観からすると、呼吸の仕方を忘れるなんて、それはもう魂がないも同然なのではないか、……。